大正8年
先代浅田義彦が、東成郡田辺村(現在東住吉区田辺本町)で試験的に石鹸製造を初め、粉石鹸を製造する。
昭和8年
浅田義彦(株)中山太陽堂(クラブ化粧品)を辞職。
中河内郡加美村(現在本社所在地)に本格的石鹸工場を建設する。浅田石鹸工場設立。
昭和16年〜26年
太平洋戦争。統制経済下、企業合同の中で製造を継続する。
昭和27年
浅田石鹸株式会社に組織改編。資本金500万円とする。現在の工場所在地を買収し、粉末石鹸工場とする。
本社所在地は化粧固形工場とする。
昭和30年
三洋電機(株)と提携。女優木暮美千代起用によるサンヨー洗たく機専用粉せっけんミスズ電洗石鹸の製造販売を行う。
三鈴産業株式会社設立(資本金300万円)。
昭和33年
大丸、三越、そごう、近鉄、松坂屋の各百貨店の粉末石鹸・留型指定工場の認証を得る。
昭和37年
スーパーダイエー、ニチイ方面に販路を拡大する。
昭和40年
浅田義彦急死のため、浅田洋一が代表取締役に就任する。
昭和41年
社名を不動化学工業所と変更する。
昭和46年
本社工場を閉鎖、現在工場所在地に鉄骨3階建立体石鹸設備を新設する。
昭和53年
更に合理化を期し、鉄骨4階建立体石鹸設備増設。
一層の省力化と技術の高度化を計る。
同 12月
株式会社不動化学に組織を改編、資本金を1,000万円とする。
昭和55年
ワクネリ化粧石鹸一貫製造システム確立のため鉄骨3階建工場設備を新設する。
昭和56年
製品倉庫、資材倉庫として鉄骨4階建倉庫を新設する。
昭和58年
不動産部を設立し、不動産事業へ進出する。
昭和62年
事業の多角化を計り、複合事業部を設立する。
昭和63年
さらに発展をめざし、株式会社不動恒産、株式会社エステート不動を設立する。
Heart & Ecology
優しい 健やか 潤う
不動化学の製品へのこだわり
「自然に学び、 自然を守る」を思いに
生活に役立つ製品づくりに励んできました。
肌に優しいせっけん 健康に配慮したハミガキ 潤いを追求したコスメチック
優しい、健やかに、潤いをスローガンに
マテリアル(素材)・スキル(技術)・クリエイト(創造)のこだわりを三位一体とし
明日をもっと楽しく快適に暮らして頂くための製品づくりに努めております。